赤間関街道・中道筋ウォーク:前篇

こんにちわ!O田Y子です(^_-)-☆
晩秋の季節ですね♪皆さんはもう紅葉はご覧になりましたか??秋吉台の草紅葉は今月末、見ごろを迎えるそうですよ!大地の紅葉を見にいらしてくださいね(*^^)v


さて18日(日)に開催された赤間関街道・中道筋ウォークの資料を入手しましたので本日はその事をご紹介いたします♪本来は参加した お“タスケ”マンに書いて頂きたいのですが…あれこれと多忙の為、O田が執筆いたしますm(__)m


詳しく聞いておりますので、最後までご覧になってくださいね(^O^)/

受付開始!前日は雨の中、草刈りをしたのが嘘のように晴れました!

 
出発です!!今日はどんな旅が待っているでしょうか??楽しみですね♪


ここで「赤間関街道」って何??と思われる方がいらっしゃると思いますのでご説明……


山口県には萩往還をはじめ、数々の街道が知られています。赤間関街道は萩と下関を結ぶ街道で北浦道筋・中道筋・北道筋とあります。中でも今回歩く中道筋は萩と下関を結ぶ最短ルートであり、最も重要な街道だったのです。吉田松陰や、高杉晋作など、幕末の時代に活躍した多くの志士達が通った街道でもあり、街道沿いにもその歴史の片鱗を感じ取れる史跡があります。平成8年には文化庁により「歴史の道百選」にも選ばれているんですよ!!


道筋には地蔵信仰の地蔵が街道を見守っています。一行はひとまず絵堂へ、そののち長登を通り、台山(秋吉台)を抜け秋吉広谷(秋芳洞入口付近)まで、およそ12キロを歩きます。

  
法香院の板碑豊臣秀吉の朝鮮の役に出兵した毛利輝元が朝鮮から連れてきた尼僧の供養塔と言われています。阿弥陀仏如来を示す「キリーク」が板碑には記されています!紅葉も綺麗ですね♪


絵堂に着きました!大田・絵堂開戦の碑では火をおこして出迎えがありました!ここで一旦休憩。ゴボウ茶を頂きました(>▽<)


ここ絵堂は萩政府軍と高杉晋作率いる下級兵士や農民を主体とした諸隊が戦闘の火ぶたを切った場所でもあります。いわゆる大田・絵堂の戦いです。この戦いで奇兵隊など諸隊の圧倒的勝利に終わり、藩論が一変し倒幕となり、明治維新への道を歩みだしたのです。まさに明治維新発祥の地なんです!!


大田・絵堂開戦の碑の傍らには「俗論党の本陣門」が絵堂宿から移設されています。門柱には大田・絵堂の戦いで騎兵隊諸隊がの夜襲した時の弾痕が残されているのです。

これがその門です。そして…………。。。。

これがその弾痕の後Σ(°□°)!!臨場感がありますねぇ…。なんと中にはまだ弾が残っているらしいっ!!


さてさて…ここからまだまだ旅は続きますが、長くなりましたので次回☆


次回、県下でも有数の巨木である明楽寺のイチョウ・下の峠の道標・大久保の石畳などなど見どころ満載ですっ!お楽しみに\(^▽\)(/▽^)/